不振と重圧乗り越え…小笠原2000安打達成
敵、味方は関係ない。偉大な記録が球場を一つにした。8回、小笠原の偉業に巨人ファンは総立ち。阪神ファンも大きな拍手を送った。左手を上げて歓声に応えるガッツに、坂本、阪神?新井が花束を手渡した。リードを許していたため、笑顔は封印。勝負に徹する男らしい瞬間だった。
「少しホッとしている。チームにも迷惑をかけていた。今まで携わってくれた人、全員に感謝の気持ちを伝えたい」
やっと、やっと出た。あと11本で迎えた今季。過去に例がない不振に陥った。4月21日阪神戦(甲子園)から、初の5打席連続三振を含む18打席連続無安打。そんな中でも代名詞は忘れない。8回1死。小林宏の144キロ直球を体がねじ切れんばかりのフルスイングで振り抜く。打球が二遊間を抜けると「ヨシ!」と珍しく言葉を発した。「あれだけたくさんのテレビや新聞のカメラが集まることはなかった。自然と意識してしまった」。初めて明かした率直な心境。現役最高の生涯打率?315を誇る男も大台目前の重圧に苦しんだ。
プロ2年目の98年。左手人さし指骨折から復帰初戦だった7月7日近鉄戦(東京ドーム)で、代打で右越え2ランを放った。患部をギプスで固定したまま打ったプロ1号。生きざまを象徴する一振りに「ガッツ」の愛称が定着。当時は「バントをしない2番打者」。大きく育てたいとの上田利治監督の方針で、フルスイングに磨きをかけた。寡黙に。黙々と。そんな姿勢は常勝軍団に移籍しても変わらない。
打撃不調だった08年には、半月板手術を受けた左膝のテーピングを外して打席に立ったこともあった。勝利のためなら、選手寿命を縮めかねない行動もいとわない。夏場以降に復調した小笠原に導かれたチームは、阪神との最大13ゲーム差から逆転Vを果たした。優勝請負人にして、精神的支柱。それがガッツだ。
「1年でも長く。目標は生涯現役。チームの優勝が一番ですから。(2000安打も)振り返って、覚えていないくらい打ちたい」。希代のスラッガーはいつまでもグラウンドに立ち、どこまでも記録を伸ばし続ける。
◆小笠原 道大(おがさわら?みちひろ)1973年(昭48)10月25日、千葉県生まれの37歳。暁星国際では甲子園出場なし。NTT関東を経て96年ドラフト3位で日本ハム入団。06、07年にはMVPに輝き、ベストナイン7度など数々のタイトル獲得。3割と30本塁打をそれぞれ10度記録。1メートル78、83キロ。右投げ左打ち。