吉田“薄氷”V11「怖かった。研究されているなぁと」
優勝が決まった直後に両手で顔を覆った。こぼれる涙は、歓喜のものではない。「負けるかと思ったし、怖かった~、という涙でした」。アレクサンドル?カレリン(ロシア)に並ぶ9連覇の偉業。世界大会11連続優勝、54連勝。無人の野を行くがごとき記録の数々より、この日の吉田は「今までで一番ヒヤッとした」と1つの勝ち星の味をかみしめていた。
準決勝までは力の差を見せつけた。連続フォールで発進すると、続く2試合もピリオド中に大差がつくテクニカルフォールを記録。決勝で顔を合わせたのは、過去何度も対戦経験のあるバービークで「普通にやれば勝てる」と思ったという。ところが、ピリオドが始まってみると、様子が違う。「研究されているなあ、と。フェイントが効かなくて崩せなかった」
第1ピリオドは先取したが、第2ピリオドは2―0とリードした後半にタックルをつぶされ、2点を奪われ逆転された。迎えた最終ピリオド。再び2―0とリードした終盤、同じようにタックルをつぶされ、体をひっくり返された。審判は無得点の判定だったが、カナダ側の抗議で2点が入った。通常、同点なら大きなポイントを稼いだ方が有利。残り時間は3秒。吉田が「負けた」と思ったのは当然だった。
「ここで負けたらロンドンはない、と言い続けてきたんで」。タイムアップ直前に相手の懐に飛び込んだのは、逆転を信じてのもの。しかし、実は吉田の2点のうち1点は相手に対する警告。ルール上は警告のポイントが最優先で、同点でも吉田の勝ちに変わりはなかった。結局、最後の1ポイントも認められ、はっきりと決着をつけたが「いい勉強になった」のが本音だった。
最終ピリオドまでもつれ込むのは07年の世界選手権3回戦以来、実に4年ぶり。さらに、同点の場合に抽選で攻守を決める現行のルールで、抽選を経験したこともない。圧倒的な強さが、思わぬ経験不足を生んでいた。「細かいルールのことも知らなかった。これからは何が起こるか分からないから、想定した練習をしておかないと。まあ、それでも負けなかったことが良かった」。女王の顔に浮かんだ危機感は、3連覇が懸かるロンドンへの“良薬”の苦みを感じているようだった。
?栄監督は“油断”指摘?吉田を指導する栄和人?女子監督は「決勝はちょっと動きが硬かったね。気合の入りすぎという感じだった」と苦笑い。今年に入り強化合宿には男子選手を投入するなど“刺激”も与えてきたが、思わぬ苦戦に「勝てるという気持ちがあったのかもしれない」と油断を指摘。それでも、連勝街道を走る愛弟子に「パーフェクトな勝ち方を続けるのは難しいよ」とフォローした。
◆吉田 沙保里(よしだ?さおり)1982年(昭57)10月5日、三重県生まれの28歳。中京女大(現至学館大)出、ALSOK所属。04年アテネ、08年北京両五輪で金メダル。01年から08年1月まで続いた連勝は119でストップしたが、その後も再び連勝中。昨年は世界選手権で8連覇、アジア大会で3連覇。1メートル57。